2008年9月16日火曜日

故郷愛

英語を教えている関係で、何かと英語圏の人間と接する機会が多い。そんな中で感心させられることは彼らが胸を張って自分の出身地のことを語ることだ。たとえそれが地図にものっていないような小さな田舎町であったとしても、である。彼らが自分の故郷を愛しており、誇りに思っているということなのだろうが、どうしてそうなのか。アメリカを例にとると、彼らの町には新聞があり、テレビ局、ラジオ局があり実にローカルな話題が毎日報道される。そしてそれが人々の持つ「自分の故郷のイメージ」にポジティブに貢献しているのではないだろうか。

同時に彼らには自国を「愛する」という決意に似た態度が見える。「愛する」ということは甘ったるい「感情」ではなく力強い「意志」なのだ。(結婚している人なら理解できるだろう)彼らが時折見せる自国に対する責任感ともいえる態度がある。自分の国を擁護するばかりでなく非を認め、それを変えようとする態度を見るとき、たくましささえを感じる。だがなぜそんな態度がとれるのかといえば、それは、変化が可能だという信仰ともいえる希望を持っているからだ。彼らには自分の故郷を良くすることができるという希望があるからこそ、それを実行する必要と責任を感じることができるのではないかと思う。

振り返ってわが故郷(佐野に住んで22年、僕にとって第二の故郷)佐野はどうだろう。多くの人が自分の故郷を恥じているかのように話すのはどういうわけだ。地方にはメディアがほとんど無いし、中央のメディアの影響は否めない。そして「田舎=ダサい」の公式は田舎の人々の間でさえ確立されてしまっているようだ。それに加えてあるのは、何をやっても変わらないという「あきらめ感」あるいは「無力感」ではないか。言い換えれば希望がないということか。現状をただ受け入れるだけしかないとすれば希望など持てるはずがない。そんな故郷を誇りに思うこと、愛することは難しいだろう。

僕の心の中で年々大きくなっているものがある。それは故郷への誇りであり愛だ。I Love SANO の“I”はIgawaの“I”なのだ。これは僕の決意であり、責任でもある。僕は将来への希望を持っている。実際、市議時代に経験したことだが、佐野を変えることは可能なのだ。希望を持とう。

0 件のコメント:

質問および提案項目と結果 ☆ 「 佐野市の産業団地の人気上々 」 田沼インター産業団地分譲は、5年計画で実施したところ、ほぼ1年で完売の見込み。 ☆ 「 佐野におけるインバウンド 」 観光地でなくても、海外からの観光客の6割がリピーターで、彼らの間では、...