昨年を一言で表すなら「戦い」の年だった。勿論「戦い」が無ければ「勝利」も無い訳である。議員としても、経営者としても練られた一年であった。
庁舎が被災して、新庁舎の位置が議論され始めた時、現在地にしか新庁舎の候補地はないと主張したのは、私一人だけだった。佐野市の街づくり構想や中期計画、中心市街地の考えからして当然のことなのだが。被災地認定のため建築費も三分の一の持ち出しで済む。
道の駅どまんなか周辺なら、区画整理が終わっている農地を利用するので、農水省からの補助金も返還しなければならない。加えて土地の買収にも多額の資金が必要となる。街づくりの計画書も作り直して許認可も必要となる。期間もお金もかかる訳だ。文化会館周辺も然りである。市民にとっても「安心安全のまちづくり」を主張しつつ、何年もプレハブの仮庁舎でいいはずがない。
しかしながら、一昨年12月定例会、議会は賛成派と反対派同数で分かれ、議長采配により現在地に庁舎を建設することで決着した。
街づくりは思いつきでやるものではない。市全体の計画書に沿って進んでいるものなのだ。
昨年の10月に、東北大震災で町の九割が流された大槌町の町議で監査役だった方の案内で、被災した様子と、復興ボランティアの方々や町議会事務局長そしていちばん遠くにある仮設住宅で働く社協の方々からお話を伺うことが出来た。
瓦礫が撤去され、新しい土が現れた時に、ああ、復興が始まるんだな、という期待は、一年半以上経って周囲は雑草だらけ。その風景を見る度に、虚しい思いにさせられるということだ。
どうして街づくりが進まないのか。計画書を出さなければ国、県からお金が出ない。しかし、計画書を作るにも、多くの人材が流されてしまって作れない、作れないからお金もこない、というのが現状のようだ。国から有能な人材を派遣して計画書を作る作業を支援してもいいはずなのに、それがなされていない。矛盾だらけだ。官僚も政治家も現場を見ていないということか。
マザーテレサが「政治家たちは、謙虚にひざまずく時間をもっともっと、ふやさないといけません。そうしたら、きっと彼らはより良い政治家になると、私は信じています。」と語っている。
喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣く。そのような心構えで今年一年頑張りたい。
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