2008年9月24日水曜日

もう一つの道路問題

北関東自動車道の工事が進んでいる。赤見に行ったら、大きな土手が目に飛び込んできた。唐沢山にはトンネルの穴が二つ空けられた。道路とは場所と場所をつなげるためのものである。それによる経済効果は絶大だ。東北自動車道(佐野藤岡IC)、国道50号バイパスと佐野アウトレットを含む新都市との関係は、東西南北に広がるそのアクセスの良さによることは否定できない。週末ともなれば多くの買い物客が新都市を訪れ、交通渋滞を引き起こすほどだ。

つながりは確かに大切であるが、つながりによっておこる問題も忘れてはならない。交通渋滞はそのひとつであるが、実はある部分の強いつながりによって起こる他の部分の分断もある。考えてみてほしい。高速道路ができたためにできる地域の分断を。

東北道も北関道も広範囲でのつながりを強化する反面、視界をさえぎる壁をつくっている。そのため大きな道路が交差する部分は別として、地域の分断は明らだ。付近に住む人々の行動は制限され、新たな行動パターンを強いられる。新たなストレス要因だろう。通り抜け用のトンネルや陸橋をつくり既存の交通パターンを妨げないようにしている努力は認める。だが人の行動が以前と同じでなくなってしまうことは、ほとんど使われなくなっているトンネルや陸橋を見てもわかる。東北道にあるいくつかのトンネルは、昼間でさえ通りたくないほど薄気味悪いものもある。トンネルや陸橋になったとたんに人は行動を変えてしまうのだ。建設中の北関道の壁にどう対処すべきなのか考えさせられる。

もう一つの分断について先日ある方から貴重な情報を得た。それは農地を分断する国道50号によるものだ。この場合、壁が無い分、視覚的な分断はない。目的地は分断されていても見えている。だから心理的には近く感じるそうだ。ある意味、地域のつながりは保たれているのだという。しかし新都市開発に伴う交通量の増加につれて、これが危うくなってきているようだ。今までは容易に横断できた道路が信号無しでは渡れなくなり、待たされる時間と交通への気遣いは人々のストレスを上げている。特に農業用車両にとって一般車から白い目で見られるのはたまらない。彼らこそ、その地にもともと住んでいた人たちなのに。

「つながり」を問うとき誰の「つながり」をいっているのか。議論が足らなかったのだと思う。自分自身もそのことを考えていなかったことを反省している。まちづくりは道路を計画して、経済予測をして、用地買収、物件補償だけではない。ひとびとの生活、つながりを忘れてはいけないのだ。

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