2008年9月27日土曜日

こんな道があったら

今大学生になった長女が、小学生の頃に書いた作文を見つけた。以下に一部を引用しよう。

「私の通学路には何もない。あるといったら家と道路ぐらいだ。とてもつまらない。道順はずっーとまっすぐだ。特に楽しくもなく危険でもない。私の理想の道は、通っているだけで、とても楽しくなる道だ。毎日いろいろ発見できるものがある道だ。公園のような広々とした道である。たとえばトンボ、バッタ、チョウなどの虫がいて、歩いているだけで楽しくなるような道だ。もし、そんな道があれば毎日の登下校が楽しくなるはずだ。でもこんな素敵な道があるだろうか。たぶん、ないだろう。」


先日90歳を迎えたあるご婦人から言われたことを思い出した。桜の堤の遊歩道を30年も前から、また電柱の地下埋設を20年前から夢見ていたとのこと。ある珈琲店の主人はこう言う。「今、必要な道は花の咲く『あぜ道』である。われわれが子供の頃走り回って遊んだ『あぜ道』なのだ」と。共通するのは歩行者の視点である。実際に足で歩いている人たちの声なのだ。


車を降りて歩きだすとき、普段見過ごしてきた街並みに新しい発見がある。ゆっくりと歩き出すと人は発見を求めだすと言ったほうがよいかもしれない。足裏に感じる感触、様々な音、頬に触れる風、匂い、そして出会いだ。歩く場所との「つながり」ともいえる。車社会の断絶とはこれとは対極にある。なぜならそれは「つながり」を否定し人間の感覚を小さな車内という部屋に閉じ込めるからだ。車の中はきっと僕たちにとって、とても退屈なものなのだ。だからラジオ、音楽、芳香剤、はてはテレビなどのエンターテイメントが必要になる。


歩いてみよう。まちに本当に必要なものがわかるかもしれない。道の機能はアクセスだけではない。子供の作文の結びをこんな風に出来たらと思う。「・・・歩いているだけで楽しくなるような道だ。もし、そんな道があれば毎日の登下校が楽しくなるはずだ。こんな素敵な道があるだろうか。たぶん、佐野にならあるだろう。」

2008年9月24日水曜日

もう一つの道路問題

北関東自動車道の工事が進んでいる。赤見に行ったら、大きな土手が目に飛び込んできた。唐沢山にはトンネルの穴が二つ空けられた。道路とは場所と場所をつなげるためのものである。それによる経済効果は絶大だ。東北自動車道(佐野藤岡IC)、国道50号バイパスと佐野アウトレットを含む新都市との関係は、東西南北に広がるそのアクセスの良さによることは否定できない。週末ともなれば多くの買い物客が新都市を訪れ、交通渋滞を引き起こすほどだ。

つながりは確かに大切であるが、つながりによっておこる問題も忘れてはならない。交通渋滞はそのひとつであるが、実はある部分の強いつながりによって起こる他の部分の分断もある。考えてみてほしい。高速道路ができたためにできる地域の分断を。

東北道も北関道も広範囲でのつながりを強化する反面、視界をさえぎる壁をつくっている。そのため大きな道路が交差する部分は別として、地域の分断は明らだ。付近に住む人々の行動は制限され、新たな行動パターンを強いられる。新たなストレス要因だろう。通り抜け用のトンネルや陸橋をつくり既存の交通パターンを妨げないようにしている努力は認める。だが人の行動が以前と同じでなくなってしまうことは、ほとんど使われなくなっているトンネルや陸橋を見てもわかる。東北道にあるいくつかのトンネルは、昼間でさえ通りたくないほど薄気味悪いものもある。トンネルや陸橋になったとたんに人は行動を変えてしまうのだ。建設中の北関道の壁にどう対処すべきなのか考えさせられる。

もう一つの分断について先日ある方から貴重な情報を得た。それは農地を分断する国道50号によるものだ。この場合、壁が無い分、視覚的な分断はない。目的地は分断されていても見えている。だから心理的には近く感じるそうだ。ある意味、地域のつながりは保たれているのだという。しかし新都市開発に伴う交通量の増加につれて、これが危うくなってきているようだ。今までは容易に横断できた道路が信号無しでは渡れなくなり、待たされる時間と交通への気遣いは人々のストレスを上げている。特に農業用車両にとって一般車から白い目で見られるのはたまらない。彼らこそ、その地にもともと住んでいた人たちなのに。

「つながり」を問うとき誰の「つながり」をいっているのか。議論が足らなかったのだと思う。自分自身もそのことを考えていなかったことを反省している。まちづくりは道路を計画して、経済予測をして、用地買収、物件補償だけではない。ひとびとの生活、つながりを忘れてはいけないのだ。

2008年9月16日火曜日

故郷愛

英語を教えている関係で、何かと英語圏の人間と接する機会が多い。そんな中で感心させられることは彼らが胸を張って自分の出身地のことを語ることだ。たとえそれが地図にものっていないような小さな田舎町であったとしても、である。彼らが自分の故郷を愛しており、誇りに思っているということなのだろうが、どうしてそうなのか。アメリカを例にとると、彼らの町には新聞があり、テレビ局、ラジオ局があり実にローカルな話題が毎日報道される。そしてそれが人々の持つ「自分の故郷のイメージ」にポジティブに貢献しているのではないだろうか。

同時に彼らには自国を「愛する」という決意に似た態度が見える。「愛する」ということは甘ったるい「感情」ではなく力強い「意志」なのだ。(結婚している人なら理解できるだろう)彼らが時折見せる自国に対する責任感ともいえる態度がある。自分の国を擁護するばかりでなく非を認め、それを変えようとする態度を見るとき、たくましささえを感じる。だがなぜそんな態度がとれるのかといえば、それは、変化が可能だという信仰ともいえる希望を持っているからだ。彼らには自分の故郷を良くすることができるという希望があるからこそ、それを実行する必要と責任を感じることができるのではないかと思う。

振り返ってわが故郷(佐野に住んで22年、僕にとって第二の故郷)佐野はどうだろう。多くの人が自分の故郷を恥じているかのように話すのはどういうわけだ。地方にはメディアがほとんど無いし、中央のメディアの影響は否めない。そして「田舎=ダサい」の公式は田舎の人々の間でさえ確立されてしまっているようだ。それに加えてあるのは、何をやっても変わらないという「あきらめ感」あるいは「無力感」ではないか。言い換えれば希望がないということか。現状をただ受け入れるだけしかないとすれば希望など持てるはずがない。そんな故郷を誇りに思うこと、愛することは難しいだろう。

僕の心の中で年々大きくなっているものがある。それは故郷への誇りであり愛だ。I Love SANO の“I”はIgawaの“I”なのだ。これは僕の決意であり、責任でもある。僕は将来への希望を持っている。実際、市議時代に経験したことだが、佐野を変えることは可能なのだ。希望を持とう。

2008年9月12日金曜日

「表」と「裏」

以前佐野市にはあまり有名な観光地はない、というようなことを書いたが、近年の市町村合併により佐野市は「山間部」という観光ポテンシャルを持つことになったことを忘れてはならない。何人かの友人は「お前、今頃、気づくなんて遅いよ。」と「裏日光」という言葉を教えてくれた。佐野はリゾートと観光で世界遺産でもある日光の山々の反対側の面、つまり「裏」をもっているのだという。そこには秘境ともいえる手付かずの自然が残されているのだ。うだる真夏の暑さを逃れるため、裏日光に行くのは一部の佐野玄人の間では常識なのだそうである。街づくりを標榜している僕にとっても刺激的な話だ。

今年の夏も二度、「表」日光を訪ねた。よそから来た客人をもてなすには喜ばれる有名な観光地である。言い換えれば「安全」な観光地なのだ。けれども、それは取りも直さず商業化の波にさらされてしまったリゾート地なのだ。「表」日光はエアブラシで描かれた美しい絵を思い出す。が「裏」日光は筆の跡がハッキリと残る油絵のような印象だ。「裏」の単純な商業化には反対だが、佐野にある素晴らしい「油絵」を人の目から隠しておく手はない。

ここに知恵が必要だ。どのように人をその場所まで連れて行くかということだ。人を動かすためには道路をつなげることしかないのだろうか。けれども考えてみてほしい。結局のところ、「裏」との遭遇が起こればいいのだ。遭遇であればどんな形でもいいのである。僕は今、「人を動かす」のではなく「山を動かす」ことを考えている。

2008年9月10日水曜日

住みたい街とは

自分の住む町に何をもとめるのか。家であったり家庭であったりと様々だろう。だが実は人はふれあいを求めているのだ。そしてそれこそが本当の「家 / Home」の要素なのである。

僕は仕事の一環として高校生のためにホームステイ・プログラムをやっている。行き先はアメリカ、カリフォルニアだ。ヨセミテでのキャンプもありだ。確かにヨセミテの大自然は圧倒的に美しく壮大だ。でも高校生がもっとも感動してくるのはその自然でもなく、異文化でもなく、人なのである。帰国後、彼らは一緒に行った仲間と毎日のように会っている。

僕も旅行に行くときには、ただ観光地に行くのではなく、行った先々の人々と話をしたいと思うし、それこそが一番楽しいと思う。僕の友人が外国人旅行者に宿を貸す「カウチ・サーフィング(Couch Surfing)というグループに参加しているが佐野にフランス人、とセルビア人を泊めてやったそうだ。何をしたかといえば一緒に太平山に登って佐野ラーメンを食べたそうだ。でも何よりも一緒に話ができたことが一番なのだそうである。

確かにあまり有名な観光地は佐野にはないかもしれない。けれども実は人が求めているのは人なのである。ふれあいなのだ。日本は資源のない国だが、資源としての人材がすばらしいと言われている。それはどうしてなのか。それは教育なのだそうだ。資源がなくとも、人という資源で世界と競争しているのだ。教育者のはしくれとして責任を感じる。

だが人材とは何も生産性やビジネスの成功につながるだけではない。最近、近所に引っ越してきたある夫婦が言うには、佐野の人は優しいとのこと。「ほっとする」そうなのだ。これは誰もが求めている「家 / Home」の要素が佐野にあるということなのではないかと思う。この地に新たな「故郷」を見いだした人たちの期待を裏切りたくないと思う。またそれと同時に、佐野人の誇りも思い起こしてもらいたい。それは僕たちの子供たちにも引き継がれていくものだから。

Unity in Community

JR佐野駅前でギターを持った若者?たちが歌を歌っているのによく出くわす。建築を勉強したある方によるとあの駅前広場はロケーションといい、デザインといいとても良いものなのだそうである。なるほど、多くの人がくつろいでいるわけだ。ただ、いかんせん佐野の中心街がさびれていて、広場だけでは活気をとりもどすことは難しい。

佐野には新都市というイオンやアウトレットといったビジネスがあるが人出は多いが駅前広場のような本物の公共スペースは存在しないのだ。午後8時になればアウトレットは閉まってしまうし、24時間オープンのイオンも閑散とした駐車場だけしかない。犯罪の温床にならなければ良いのだが。



犯罪スポットは造られた環境から生み出されると聞いたことがある。あるストリートミュージシャンによると駅前広場は結構安全なのだそうである。逆に24時間オープンの駐車場はダダっ広くて夜中は不気味だ。



単純に公共スペースがあればいいと思うがどうだろうか。新都市にも昔ながらの本物のふれあいを期待したいと思うのだか。人の交わるところはかえって犯罪も少ないというのもうなずける。

こんなところから本当のコミュニティができるとおもうがいかがなものか。僕の見たいものは地域のふれあいであり結束である。UNITY IN THE COMMUNITY!

質問および提案項目と結果 ☆ 「 佐野市の産業団地の人気上々 」 田沼インター産業団地分譲は、5年計画で実施したところ、ほぼ1年で完売の見込み。 ☆ 「 佐野におけるインバウンド 」 観光地でなくても、海外からの観光客の6割がリピーターで、彼らの間では、...