2008年12月26日金曜日

公園考2

児童公園と称するものがある。原色の遊具が並び、親子連れで賑わっている風景はほほえましいが、それは新しいときだけの輝きだ。流行の遊具は簡単にその輝きを失ってしまう。単に古くなってしまうのか、あるいは年輪を重ねるのか。エイジング/agingの難しさは、人間だけに限ったことではない。上手く年をとれるかどうかは、人だろうが公園であろうがビジョンに関わる問題だ。長期的な視点を持って公園は設計されているのだろうか。公園のデザインはどんな人を呼ぶのかを決定してしまう。上記の児童公園には親子連れが集まるように、それにふさわしい人を集めるのである。

公共事業では見た目を重視しない傾向がある。確かに見た目は個人的な好みの要素もあり議論の難しいところがあるが、ないがしろにはできない。ゴミを捨てられた場所に更にゴミが集まり、割られたガラス窓が更なる破損を誘導するのも視覚的な影響なのだ。

僕が理想とする公園は普通の大人も含めた家族が安らげる公園だ。それは利用する世代を超越しているからであり、世代間をつなぐことができるからである。あるドイツ人の御夫人から聞いた話だが僕の考える公園のイメージになったものがある。彼女の家は決して裕福であった訳ではないが休みとなると家族そろってきちんとした身なりをして公園を散歩したそうだ。子供ながらに家族での散歩を楽しみにしていたという。さてこの話を聞いてどんな公園をイメージするだろうか。前回紹介した娘の作文にある公園が僕の心に浮かんできた。

子供の意見だといって馬鹿にできない。仕事で中高生に接することが多いが、彼らの感覚には教えられることも多い。若い世代とつながりを持てることを嬉しく思うが、そんな世代を超えたつながりに貢献できる公園が佐野には必要なのではないだろうか。

公園考

長女の作文には続きある。以下に引用する。

「わたしの家の近くにコンビニができた。ちょっとしたものを買う時に便利だ。わたしは、もうひとつできて欲しいものがある。それは公園だ。マンションのとなりに、空き地がある。誰かの土地かもしれないが、それが公園だったらなあとつくづく思う。わたしの住んでいる町内には公園や空き地などの遊ぶ場所がないのだ。とてもつまらないのだ。もし、公園ができるなら、公園の中に川をつくってほしい。とてもきれいな水がながれていて、流れがゆるやかで、小さな子供が遊んでも安全な川である。そんな公園があったらいいな。」

子供の感覚は素直で鋭い。コンビニの利便性を気にする一方、遊ぶ場所がないためにつまらないという。公園のなかの小川の描写はホッとする場所への渇望だ。人は結局、ホッとするところを求める。本物を求めているともいえる。それは子供でさえ認識している、というより子供こそ本物に敏感なのだろう。

それでは本物の公園とは何か。娘の作文にはいくつかのキーワードがある。遊び、きれいな水、ゆるやかな流れ、安全などだ。ここには人とのふれあいだけでなく、水とのふれあいがある。僕の提唱する「地域のつながり/unity in the community」は環境も含めてのことなのだ。僕はまちづくりにも本物を求めている。

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